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2019年02月18日
No.10001029

INTERVIEW 佐々木寿人プロ(KONAMI麻雀格闘倶楽部)
実戦麻雀でMリーグを盛り上げる
熱くツモる超攻撃型リーチファイター

痛快なツモ上がりで、多くの視聴者を魅了する佐々木プロ

実践麻雀でMリーグを盛り上げる

ニックネームは「寡黙なリーチファイター」「麻雀攻めダルマ」。Mリーグの中継では、「佐々木プロ」ではなくアマチュア時代同様、親しみを込めてヒサトと呼ばれる。Mリーグで初めて国士無双を和了るなど、観客に“魅せる”ことが前提の競技麻雀の申し子に強さの秘密を聞いた。

──麻雀漫画のモデルになったことがあるそうですね。
佐々木
 2005年頃『近代麻雀ゴールド』に連載されたコミックです。作画は武喜仁さんで、僕が麻雀を始めたきっかけや、歌舞伎町の雀荘で働いていた頃のことが原案になっています。

──初めて麻雀を打ったのは?
佐々木
 高校1年生の時、友だちの家で。こんなに面白いゲームは、ほかにないと興奮しました。アドレナリンが出まくったせいか(笑)、その晩はなかなか眠れませんでした。翌日早速、書店に行って手に入れたのが小島武夫先生の『負けない麻雀』。麻雀牌も買ってきて、弟を相手に暇さえあれば、手役の作り方などを練習しました。

──その後、どうやって腕を磨いたんですか?
佐々木
 大学生の時、初めてしたアルバイトが雀荘のメンバーでした。夏休みだったので1日9時間、夜の10時までのシフト。大学がある仙台の国分町という繁華街の雀荘でした。2年くらいすると、周りには僕に勝てる人がいなくなっていました。

──若い頃、麻雀以外に夢中になったことは?
佐々木
 他のことには全く興味がわかなかったんです。ゲームをしたい、友だちと遊びに行きたい、彼女が欲しいといったことはまったく思いませんでした。競馬場やパチンコ屋さんにも行ったことがありません。初めて麻雀を打った時の感動を忘れることができなかったんです。

だから、麻雀をただの楽しみで終わらせたくない、そのもっと先に行ってみたいと思い続けていました。もっと先に行くためには麻雀に集中する必要があったんです。「何ごとも徹底すること」。これがいつの間にか、僕が麻雀で勝つための信条になりました。

──新宿・歌舞伎町の雀荘には、どんないきさつで勤めたんですか?
佐々木
 仙台の雀荘の系列店だったんですが、歌舞伎町店に強いお客さんがいて、メンバーがみんな負けてしまった。それで、「おまえなら勝てるかもしれない」と呼ばれました。22歳の時です。東京の麻雀がどんなものか知りたかったし、武者修行のつもりで上京しました。

──歌舞伎町ではどんなことを学びましたか?
佐々木
 いつも勝っているお客さんがいました。その人は、朝の6時に来店して、徹マン明けの惰性で打っているような人たちと卓を囲むんです。当然勝ちますよね。頭がボーっとしている人を相手に打つんですから。

いつも半荘を何回かやって、ノルマを達成したら帰る。波に乗っていても決して長居はしない。僕は、こういったフェアじゃない戦法は好きではないんですが、「勝ち負けにこだわるということは、徹底すること」という点では共感しましたし、勉強にもなりました。

──今、同じチームにいる前原雄大プロとの出会いもその頃ですか?
佐々木
 前原さんが、『月刊プロ麻雀』に連載をもっていて、僕はその愛読者でした。リーグ戦の成績表を見ればダントツで1位。うちの雀荘の社長に紹介されましたが、前原さんが店に来て打つ時は後に陣取って打牌を食い入るように見ていました。

前原さんの流儀は、「ツモり殺す麻雀」(笑)。カンチャンやペンチャンといったどんな待ちでも徹底的にリーチをかけて、一発でツモって満貫にしてしまうんです。有利な両面待ちに変化する前にリーチをかける麻雀。ラス牌でも当たり前のようにツモってしまう、ゾクゾクするような実践麻雀を何度も見せてもらいました。

──歌舞伎町の雀荘にはいつ頃まで?
佐々木
 最初「3カ月いてくれればいい」と言われたのですが結局2年ほど勤めました。僕は24歳になっていました。その後フリーになって、いろいろな人と対戦して腕を磨いていったんです。「出和了を期待せずリーチをかけてツモ和了を狙う」という超攻撃型の雀風も、この頃に土台ができました。

──プロ試験を受けたのはいつですか?
佐々木
 28歳の時に合格して日本プロ麻雀連盟(22期)に所属しました。ある時、連盟の人に女流雀士の手塚紗掬(さきく)プロを紹介してもらいました。今は、本名が佐々木紗掬に変わり、僕と家庭をもっています(笑)。

交際して3年たった頃、「結婚する気もない人と付き合うほど暇じゃない」と言われました。僕は、「こんなに自分の意見をしっかり持っている人がいるのか」と驚きました。それまで僕は麻雀ばかりやっていたので、考えてもみなかったんです。結婚したのは僕が31歳の時。今、8歳の娘と1歳の息子がいます。

──Mリーグで戦った感想をお聞かせください。
佐々木
 パブリックビューイングやアベマTVで観戦してくれているサポーターの人たちの温かい声は本当にありがたいですね。成績が低迷していても、Twitterなどで「どんなことがあっても応援しますから」と書き込んでくれて、気分的に本当にどれだけ助けられたか。一つでも順位を上げて、しっかり恩返しをしたいですね。

──同じチームには前原さんともう一人、高宮まりさんがいますね。
佐々木
 彼女は、僕が先輩プロとして、手牌構成などをアドバイスしても素直に聞いてくれます。第一回女流プロ日本シリーズで優勝した実力者ですが、言い訳をせず反省してさらに上達しようとする。もっともっと伸びる人ですね。

──Mリーガーの一員としてこれからどんな役割を果たしていきたいですか。
佐々木
 ネット麻雀の普及で競技人口が増え、Mリーグができてスポーツと同じように、「見る麻雀」を楽しむ人が増えました。でも、最終的にはリアルな牌を触ってほしいですね。僕が高校生の時に感じた牌を握ったときの感動を一人でも多くの人に味わってほしい。どうすればそうなるかを考えるのが、自分たちの使命だと思います。

──今日もこれから試合ですね。
佐々木
 試合に出るたびに本当に大勢の人に支えられているんだなあと実感しています。Mリーグができて本当に良かったと再認識することで、勝負への闘志もどんどんわいてきます。今日も必ず勝ちますからね。

──麻雀ファンのために、頑張ってください。
佐々木
 ありがとうございます。


ささき・ひさと 1977年生まれ、宮城県仙台市出身。日本プロ麻雀連盟六段。得意手役はメンホン・メンチンの一色系。17年「麻雀グランプリMAX」、18年「麻雀日本シリーズ」で優勝。また、16年「麻雀プロ団体日本一決定戦」で地和を、18年にはMリーグで国士無双を和了るなど放送対局でヒキの強さを華麗に披露する。前原プロと「チームガラクタ」を結成、トークショーにも出演する。


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