No.10001275
新社長に聞く
見たことのない遊びのカタチを
サミーネットワークス 德村憲一社長
INTERVIEW
株式会社 サミーネットワークス
德村憲一 代表取締役社長
サミーでパチンコ・パチスロの開発畑を歩み、今年4月に100%子会社のサミーネットワークスの代表取締役社長に就任した德村憲 一 氏。サミーのPS開発本部長との兼任で、「四号デジタル」でどんなシナジー効果を創りだすのか、抱負を聞いた。[文中敬称略]
──サミーに入社した経緯を教えてください。
德村 学生時代はパチンコばかり打っていたので、就職先はパチンコメーカーしか考えていませんでした。当時のサミー(サミー工業)はパチスロメーカーというイメージが強くて、パチンコをやっているイメージがあまりなかったんですが、家の近くのホールで『CRくだもの畑』を打ったときに、ドラムを使ってすごく面白いアクションの機械を作る会社だと興味を持ちました。当時サミーに応募する人はパチスロ志望者が多かったようですが、自分は珍しくパチンコ志望だったので面白がってもらって、「1年目から機械を作らせてもらえるんですか?」と正直に話をしたら、できますということだったので、「じゃあぜひ」と入社を決めました。
──入社後はどんな仕事を?
德村 希望通りパチンコを企画する部署に入ることができて、1年目から『ハクション大魔王』の企画をやらせていただきました。版元様と調整しながら企画を完成させて、1年半くらい開発しているうちに、内規変更で確変が5回リミッター付きになってしまった。その結果、会社の方針がパチスロ強化に向かい、自分もパチスロの出玉設計をする部署に異動しました。もともとゲームやアニメが好きで映像を含めた企画をやりたかったので、自分が目指している仕事とは違うなと思いながらも異動しました。パチンコをやりたくて入社したので、異動の夜の飲み会で大泣きしたことを覚えています。
──その後はずっとパチスロですか?
德村 はい。不思議なものでパチスロ一筋です(笑)。自分が手がけた4号機のヒット作で言えば、『アラジンS』(2002年)、『猛獣王』(同)など。5号機時代は基本的にマネージャーでしたが、初代リプパン外しの『スパイダーマン2』(06年)や『リングにかけろ』(12年)などの機能の提案もやらせていただきました。また、『エウレカセブン』『化物語』の開発にも関わってきました。「マイスロ」の機能は、5号機になって射幸性が一段落ちていく中で、どうすればユーザーに射幸性以外の楽しみを提供できるかを考える中で、当時のサミーネットワークスの担当者に相談させてもらいながら、会社に認めてもらいました。
「四号デジタル」と実機
オンラインでつなげたい
──4月にサミーネットワークスの社長に就任されて、サミーのPS開発本部長との兼任になりました。
德村 もともと社外取締役として約7年、サミーネットワークスを見ていました。マイスロやカチナビで連携していたこともあり、昨年、グループ企業が大崎に集約されてからは一段踏み込んだ関係性をつくっていたので、サミーネットワークスでもっと動いていきたいという自分の考えもありました。
──サミーネットワークスを強化したい?
德村 はい。10年先までの長いスパンで考えたときに、規則改正でパチンコ・パチスロはこれから大きく変わります。メダルレス遊技機や管理遊技機が出てくる。自分はサミーネットワークスの業態を「四号デジタル業態」と呼んでいるんですが、この四号デジタルと実機の四号営業(風営法)との親和性はどんどん上がっていくだろうと思っています。将来も見据えて、このタイミングで自分に近いところでサミーネットワークスを見ていくことが重要かなと思っています。
──パチスロの開発で培ってきた経験をどう活かしていきますか?
德村 自分はもともと、パチンコ・パチスロは射幸性だけではなく、オンラインに近づけることで強化できないかと考えてきました。サミーのお客様はホール様であり、ホールで遊んでいただけるユーザーですが、四号デジタルでは、例えば「777TOWN」だと比較的年齢層が高めで、40代~50代のいわゆるパチンコ・パチスロの休眠ユーザーの方にパチンコ・パチスロ的なものを楽しんでいただけている。何かきっかけがあればまたホールに戻っていただける可能性がある。逆に、フリーtoプレイの「777NEXT」は、実際にホールで遊ぶ若い現役ユーザーの比率が高いので、最新機種の練習という意味も含めて無料で遊べるサービスとして提供できている。ホールに実際に足を運ぶのは少しハードルが高いと感じている人がまずスマホで遊んでみて、興味をもってもらって面白かったらホールに行ってもらえる。そういう導線になりうるサービスだと思っています。