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2019年08月06日
No.10001323

コアミックス 代表取締役社長 堀江信彦氏
漫画『花の慶次』誕生秘話
〜隆慶一郎という漢の傾き方

原哲夫先生と組んで
また大ヒット作めざす

1988年、週刊少年ジャンプで『北斗の拳』の連載が終わり、漫画家の原哲夫先生と組んでまたヒット作を出したいと思っていました。現実離れしたアクションやバイオレンスの要素を入れた世界観が原先生の持ち味。舞台となる時代設定は北斗が未来の話だったので、今度は歴史物でと漠然と考えていました。そんな時、神保町の本屋で出会ったのが隆慶一郎先生の『吉原御免状』(編集部注/86年刊。直木賞候補)でした。  

すごく面白くて、これはいけると感じたので他の作品も読みました。隆先生は入院中でしたが、ツテを辿ってお会いできたんです。ところが、ご挨拶を済ませ病室を出ると、お弟子さんたちに、「先生はもう原稿を書かないよ」と言われました。それほど病状は思わしくありませんでした。  

『隆慶一郎を読む 「歴史読本」編集部』。新人物往来社刊(2010/10/22)。
自筆原稿・創作ノート・遺愛品・プライベート写真など、初公開写真を含む貴重な図版を多数収載。
『柳枝の剣』『異説猿ヶ辻の変』『死出の雪』3作品完全収録。


病床で書いた原稿が
『花の慶次』の読切漫画に


せっかく縁ができた方に、「仕事を頼めないなら、金輪際会わない」というのは編集者としても人としても冷めた過ぎる。そこで、仕事の話抜きでお見舞いに通うことにしました。

ある時、体調が良かったのか、病院内の喫茶店に誘われ、「キミは俺に何をさせたいんだ?」と聞くので、先生の作品を1本漫画化させてくださいとお願いしたんです。  

それが『花の慶次-雲のかなたに-』の原作、『一夢庵風流記』です。柴田錬三郎賞を受賞した傑作時代小説でしたが、未完だったこともあり、ご自分ではあまり気に入った作品ではないとおっしゃっていました。

でも、漫画は物語の完成度よりもキャラクターが立っているかどうかが一番大事です。その点、前田慶次は傾奇者で、誰からも愛されるキャラクター。漫画の主人公にぴったりでした。その話をすると、「だったら何枚だ。原稿は自分で書くぞ」と意外なことをおっしゃいました。  

原作の小説『一夢庵風流記』(集英社文庫)

重い病気を押して、連載物の原作を書くのは難しい。それで、「最初は読み切りにしましょう」と提案しました。結局、自筆で書かれたのが3枚、あとの5枚はお弟子さんが口述筆記で仕上げたようです。

それで、原先生にネーム(編集部注/コマ割り、構図、セリフ、キャラクターなどを大まかに表したラフ)を割ってもらって、隆先生にお見せしました。「ああ、悪くないね。タイトルはどうするの?」とおっしゃったので、いくつか候補を挙げ選んでいただいたのが『花の慶次』でした。

サブタイトルは隆先生が、「雲という字を使ってほしい」と望まれたので、『花の慶次-雲のかなたに-』というタイトルに落ち着きました。  

読み切りの掲載は、89年の冬でした。掲載前にお見せしたくて、原先生も根を詰めて描いてくださったんですが、残念ながら完成を待たずに隆先生は亡くなってしまいました。  

読み切りの話が決まった後、すぐ重篤になってしまったので連載化の話はしていませんでした。ところが、亡くなって間もなくご遺族から連絡があってご自宅に行くと、「父の遺言ですから、ぜひ連載漫画にしてください」と言われました。

病魔と闘いながら、そんなことまで考えてくださっていたのかと、胸が熱くなりました。連載は90年の春先に始まり、93年の夏まで続きました。


原作『一夢庵風流記』は
主人公の存在感がピカ一


元々隆先生は、テレビドラマ『鬼平犯科帳』や『水戸黄門』など有名な番組を手がけ、戦後のテレビドラマ史において日本を代表する脚本家の一人でした。

文才あふれる隆先生が、還暦を過ぎるまで小説を書かなかったのは、「東京大学仏文科で師事していた小林秀雄が存命のうちはとても怖くて小説は書けない」と思っていたからなのだそうです。

実際小説家として活動したのは小林秀雄が亡くなった後で、89年までの5年ほど。短い創作期間に執筆した著作の中でも一際主人公の存在感が光っていたのが、漫画『花の慶次-雲のかなたに-』の原作、『一夢庵風流記』なのです。


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