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2020年05月01日
No.10001699

【コラム】 夢と志 第2回
自分の境遇を嘆いても前進しない
ブロードキャピタル・パートナーズ CEO 起業家インキュベーター 折口雅博

おりぐち・まさひろ 1961年6月11日生まれ。防衛大学卒業後に日商岩井に入社。ジュリアナ東京や六本木のヴェルファーレなど伝説的なディスコをプロデュース。95年に設立したグッドウィルグループをわずか12年で年商7700億円に成長させる。2004年に経団連の理事に就任。紺綬褒章、厚労大臣賞、日本赤十字社社長賞など受賞。その後も「プロの経営者」として、数多くの事業を成功に導く。座右の銘は「夢と志」

ビジネスをしていると色々な壁に当たることがあるでしょう。人間関係に悩むことも多いと思います。しかし、自分の境遇を嘆いているだけでは何も変わりません。その時々に置かれた状況をポジティブに捉え、自分のエネルギーに変えていくことが重要です。

人間には周囲の環境に流されてしまう面が確かにあります。ですが、その環境をどう受け止めるかはその人次第です。私の人生を振り返ってもそうですが、逆境に立たされたときにどう行動するかは、その後を大きく左右するものです。

幸いにも、という言葉が適しているかは分かりませんが、私の場合は幼少の頃から「逆境」と言える境遇を経験してきました。

私の父は東京で会社を経営し、業界団体の長を20年以上務めていました。小さい頃は200坪の家にお手伝いさんを雇い、大きな外車に乗っていました。父の会社が扱っていたのは人工甘味料のサッカリンでしたが、アメリカで発がん性の疑いがあるとされ、当時の厚労省は使用禁止を決定。その後、発がん性との関係がないことが分かりましたが、父の会社はあっという間に倒産し大きな借金を背負いました。

その後、父と母は離婚。裕福な家庭から埼玉県の家賃3万円のアパートに引っ越し、生活保護を受けることになりました。私が10歳の時でしたが、貧しい時代でした。

父は小さな店を始めました。昼間はコーヒー、夜はお酒も出すスナックのような店です。私はレジや皿洗い、出前などの手伝いに追われ、小学校2年生から卒業するまでの間、学校から帰って遊んだ記憶がありません。当然ですが、周りの友達は自由に遊んでいました。

でも、他人をうらやむ、妬むことはありませんでした。自分ができることを精一杯やるしかない。そんな気持ちでした。父親や家族を喜ばせたい、笑顔を見たい。そして、自分自身も成長したい。そんなこともモチベーションになっていたと思います。

実際、そこで学んだことは自分の成長、ビジネスマン人生の大きな糧になりました。繁盛している喫茶店を観察し、その長所を見抜いて自分の店で取り入れてみる。酔っ払いの諍いをおさめるためには、どう立ち振る舞うべきなのか。この連載でもそのうち説明しますが、ビジネスにとって最も重要なポイント「センターピン理論」を学ぶ時期になりました。

中学を卒業し、埼玉県で指折りの進学校に合格していましたが、経済的状況を考慮して、自衛隊の少年工科学校に入りました。自分の衣食住は無料ですし、家族に仕送りもできるからです。
 朝は6時に起床してグラウンドを何キロも走ります。規則も厳しく、靴やバックルが少しでも汚れていたら罰則がありました。所属していた空手部でも厳しい練習でした。30キロの重荷を担いで50キロ歩く行軍もありました。

そんな状況の中で、私は防衛大学に進学できました。自衛隊関係の高校出身でも推薦制度はありませんから、防衛大学に進学できるのは1~2%程度です。

受験には不利な状況でした。学校で許された課外の勉強時間は高校三年生で1日2時間余り。しかも体はへとへとで、翌日の訓練にも備えなくてはなりません。時には消灯後に、教官に見つからないように毛布にくるまりながら勉強しました。だからこそ、時間のありがたみが分かり、集中力が身についたのだと思います。

自分はアンラッキーだ、と思うとマイナス思考に陥ります。私は当時、ハリウッド映画の主人公に自身を重ねていました。私は「軍隊で試練を受けるシーンは、将来大きく成長するための重要なプロセスなんだ」と自分に言い聞かせていました。

私の真似をする必要はありません。でも人をうらやんだり、自分の境遇を嘆いているだけでは状況は変わりません。ポジティブ思考でいられるための、自分なりの方法を見つけてみてください。


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