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2022年02月21日
No.10002656

パイオニア
ハイビスカスに込めた想い
設立50周年記念インタビュー

ハイビスカスに込めた想い
のぐち・ひろし 1975年生まれ、兵庫県淡路島出身。遊技機販売会社での営業担当を経て2005年に株式会社パイオニア営業本部へ。その後マーケティング部門を経て現在は機種プロモーションや採用ブランディングを行う傍ら知的財産管理なども担当する。総務部/事業推進部の責任者を兼務。

INTERVIEW
株式会社パイオニア
野口浩史さん


パチスロメーカーのパイオニアが今年5月、設立50周年を迎える。30φのパチスロで圧倒的な存在感を示してきた同社の歴史と今後の抱負を、事業推進部の野口浩史さん(47)に聞いた。


パイオニアの歴史は、1972年5月に創業者で元会長の故・野口三次氏が大阪に前身の会社を創業した時に遡る。現在、事業推進部と総務部の責任者を務める野口浩史さんはこう語る。

「創業当時は大阪のミナミに近い船場というところに事務所があり、その後現在の本社がある東大阪でパイオニアを設立したと聞いています」

パイオニアの歴史を間近で見てきた野口さんですら、設立時の話は伝聞でしか知らない。

同社が設立された5年後の1977年、アップライトのスロットマシン『ジェミニ』が登場して、ゲームセンターに置かれた時期があった。1980年にはパチンコホールに設置できるスロットマシンとして箱型パチスロの1号機が登場。1985年にはパチスロメーカーの団体として日本電動式遊技機工業協同組合(日電協)が発足した。パイオニアは設立時に9社が名を連ねたメーカーの中で、現在唯一当時の社名で日電協に加盟しているメーカーでもある。このころの代表機種に1号機の『フォーチュンワン』(1985年)、2号機の『スーパーセブン』(1989年)などがある。
 
『ハナハナ』『オアシス』で全国区へ

野口さんが大学を卒業してパイオニアに入社したのは1999年。1997年にリリースされ同社のターニングポイントとなった30φのヒット機種『シオサイ‐30』が九州・沖縄で人気を博していた時期だ。 

「入社してすぐに、当時当社で力を入れていたシオサイが盛んだった九州に赴き、ホール様にお伺いしての機械説明や機械の納品、メンテナンスなど、営業職に従事しました。大学時代にパチスロは打っていましたが、関西には30φがほとんどなかった。就職して九州で初めて実際に30φを経験して、『これは面白い。わかりやすいな』と私自身もそこで30φにハマりました(笑)」

入社1年目は社員が少ないながら需要が多く、忙しかったという。

「九州ではパイオニアの知名度が高かったので、どのホール様にう伺っても、とてもよくしていただきました」

しかしその後、中四国営業所があった広島に異動。

「当時、広島では30φの機械がほとんどなく、パイオニアの知名度もゼロに近かった。地域差を痛感しました」

シオサイ-30(1997年)©PIONEER

そんななか、2001年に同社のその後の柱となる機種が登場した。『ハナハナ‐30』と25φの『オアシス』だ。同じリール配列、同じスペックの2機種を販売した。

「25φを含めて全国的にヒットし、新規に30φの設備を入れていただいて『ハナハナ‐30』を導入していただくホール様も増えてきました。それでようやく30φ、いわゆるデカコインも全国的に認知されてきたと実感しました」

ハイビスカスの向きが違う!?

『シオサイ‐30』で認知が広がったハイビスカス告知だったが、社内ではこのハイビスカスをいかにしてより魅力的にするかという議論が各チーム内でなされていた。そうした試行錯誤の跡は『ハナハナ』や『オアシス』にも実はみられる。

「『ハナハナ‐30』と『オアシス』はリール配列もスペックも同じでコイン径のサイズが違う、いわゆる“姉妹機”だったんですが、唯一違う場所があったんです」

野口さんは、ある時九州から赴任してきたという広島のあるホール店長にこんなことを言われたという。

「九州ではハイビスカスが受けているけど、この(オアシスの)ハイビスカスはちょっと違うね」

理由を尋ねると、「ハイビスカスの向きに違和感があるよ。外向きはどうもしっくりこない…」のだという。

「実は社内でも、外向きか内向きか、左右どちらから光らせるかなど、ハイビスカス演出については試行錯誤していたのです。初代の『オアシス』ではハイビスカスが内向き。光が点滅し出すのは左から。人は何かを認識するときに『Z』の書き順でモノを見るそうです。だから左からが目に入りやすいという研究もしていました。その後、通常は左からチカチカするのが、右からスタートするとプレミア点滅という、わかりやすいレアな演出もできていきました」

ハイビスカス告知は単純にハイビスカスを光らせているだけではなかったのだ。

「現在に至るまで、チカチカするだけのハイビスカスをいかに目に刺さるような光り方にできるかと議論しながら、スピードや色味なども工夫してきました。そうした細かい点が特徴となって、『ハナハナ』で遊んだファンの方が寝る前に、『あぁ今日はよくチカッたな』と思い出していただけるようなハイビスカスになっていってくれたのだと思います」

デザインが告知ランプに“昇華”

では、そもそもなぜハイビスカスランプを筐体に付けようとしたのか。

「『シオサイ‐30』を開発した当時、当社のパチスロでは『ブンブンブン』(1997年)は蜂、『ベジタン』(1997年)は野菜がモチーフで、いずれもリーチ目マシンでそれらのキャラがデザインの一部として描かれているだけでした」

そんな中、より初心者の人にもわかりやすい機械づくりというコンセプトで告知ランプを登載。南国イメージで採用されたハイビスカスを単にデザインとしてあしらうだけでなく、告知ランプとして採用したのが初代『シオサイ‐30』だった。

「デザインだけのハイビスカスが、機能性を持った告知ランプに文字通り”昇華“したのが『シオサイ』でした」

パイオニアには沖縄のイメージがあるが、沖縄に会社があったわけではない。

「アップライトのスロットマシンが沖縄、九州、中四国あたりですごく盛んだったのは、米軍基地があったからだと思います。沖縄ではもちろん、九州でも長崎などで50セントコインのアップライト機があったからではないでしょうか。30φのメダルと50セントコインは同じ直径30ミリ。おのずと九州と沖縄の人たちが当社のパチスロに親しんでいただけたのだと思います」

『シオサイ』『ハナハナ』『オアシス』と、ハイビスカス演出搭載機が続けざまにヒット。そこには業界の転機も関わっていたと野口さんは言う。

「『シオサイ‐30』のときはパチンコの社会的不適合機の撤去というタイミングで、九州ではその代わりに30φのパチスロを導入していただけました。『ハナハナ』と『オアシス』のときは、固定島化できるAタイプの需要にうまくマッチした。そういった市場のニーズにうまく合致した部分も大きかったと思います」

とくに『ハナハナ』は、ノーマルタイプで『シオサイ』以外のブランドを作りたいという同社の想いが詰まった機種。それが全国的に広がったことで、パイオニアのその後が大きく開けていった。

「ハナハナシリーズの3機種目、4機種目からは、会社としても『ハナハナ』を一番大事なブランドと位置づけ、開発を続けてきました。昨年、『ハナハナ』は20周年を迎え、今年の最新の『ハナハナホウオウ~天翔~』で18機種目(※ドンドンハナハナ及び各25φを除く)をリリースさせていただきました」

当初は製造拠点が佐賀工場だけだったが、2004年に野口元会長の出身地で、野口さんも生まれ育った兵庫県淡路島に新工場を新設。この工場は2005年に日本緑化センター会長賞を、2008年に近畿経済産業局長賞を受賞している。

2008年には日本記念日協会から「8月7日はパチスロ・ハナハナの日」の認定を受けた。「ハナハナ」は沖縄で「乾杯」をする時にかけ声で使う言葉。「相手に花を持たせる」という意味が込められていると言われる。


大切に育ててきたブランド

こうして20年にわたり同社がフラッグシップ機種として販売し、多くのパチスロファンに愛されてきたハナハナシリーズ。その象徴であるハイビスカスやハイビスカス演出がプレイヤーの支持を受ける一方、誤解や誤認を招くケースが散見されていた。

「確かにハイビスカスの演出は使い勝手の良いものなのですが、実際にホールでパイオニアの新しい台だと勘違いして打っている年配の方を見たときに、これは何らかの交通整理をさせていただいた方が良いのでは、と考えました」
 
そこでパイオニアでは2020年8月、それまで登録していた遊技機に搭載する際のハイビスカス関連の図形と位置に関わる商標を纏めたプレスリリースを発表。翌2021年には追加の位置、図形商標についてのプレスリリースを発信することで、パイオニアが培ってきたハイビスカスのブランディングへの取り組みを周知してもらう取り組みを進めている。

「各メーカー様からお問い合せをいただくこともありますが、やはりじっくりお話させていただくなかで、私どもの取り組みにご理解を示していただいていることが多いと感じています。特に当社はハイビスカスについて20年以上、数十機種にわたりリリースしてきています。その中でハイビスカスに機能的な意味を持たせたことや、それらが長い年月を経て業界に浸透していったことなど、一連の経緯が認められて登録に至っていると認識しています。どの会社にも守りたい知的財産はあり、当社ではそれがハイビスカスだということです」

そして今年、パイオニアは設立50周年を迎える。業界ではこの先、メダルレスのスマートパチスロの準備が進められていく。パチスロファンに愛されてきた30φのメダルが消える将来も視野に入ってくる。

「確かに30φの特徴を振り返ると、やはりその出玉感だったり、手にした時の感触だったり、ユニークな特徴が多い機械です。ただ、製品づくりにおいては時代の流れに対応すべき柔軟な部分と、変えずに守っていく部分はいつの時代でも求められていると思っています。今回のスマートパチスロでも、時代の潮流にうまく対応しながら、メダルレスでも変らないゲーム性を楽しんでもらえると思います。ホール様でも徐々に各台計数機が普及し、当社も4年ほど前からハナハナの25φをリリースするようになり、自然とコイン径に対する依存度が薄くなりつつあります。そうした遊技環境も考慮すると、メダルレス時代にもうまく対応できると思っています」

1月末からは『ハナハナホウオウ~天翔~25&30』の全国導入にあたり、地上波テレビとYouTubeで企業CMを放映。「これからもハイビスカスとともに」というメッセージを発信している。

「当社はハイビスカスに育てられてきた会社なので、これからもファンの皆様と一緒になってハイビスカスを大事に育てていきたい。ホール様に貢献できるようなハイビスカスのパチスロをつくり、『パイオニアはやっぱりいい仕事してくれるね』と言っていただけるように、100年企業を目指して頑張っていきます」



パイオニア公式サイト
https://www.slot-pioneer.co.jp/

パイオニア企業CM
「これからもハイビスカスとともに」


※この記事は『月刊アミューズメントジャパン』2022年3月号で掲載した記事を転載しました。


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