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2022年05月31日
No.10002837

いま注目の異業種ビジネス
元ホール店長が創業したメガフランチャイジー
大規模FCビジネス/INTERVIEW② リックプレイス 石塚信司 社長

リックプレイスは、学習塾『ITTO個別指導学院』をはじめFC108店舗を経営する日本有数のメガフランチャイジー※だ。石塚信司社長は、ホール企業の専務時代にFCの社内ベンチャーを起業して、その後独立、現在の会社の礎を築いた。「ホール企業にこそ、ぜひ異業種に参入してほしい」と言う石塚社長にビジネス哲学を伺った。

※メガフランチャイジー国内トップ200社中15位(ビジネスチャンス誌2021年6月発行号より)

1988年、大学の経営学部を卒業後、石塚社長が就職先に選んだのは警備保障会社の『セコム』だった。

「営業職が希望でした。何社も内定をもらっていましたが、飛び抜けて仕事が厳しいと聞いていたセコムの営業で、若いうちに自分を鍛えたいと思ったんです」

まだ機械警備に月数万円を支払うのが一般的ではなかった時代、門前払いは当たり前。大晦日の晩でさえ、「契約が取れるまで帰ってくるな」と上司の怒声が飛んだ。90年、長嶋茂雄氏の「セコムしてますか?」と言うセリフで有名なCMが放映される。セコムの知名度が上がり、飛び込み営業も以前よりスムーズになった。入社後4年ほどたった頃、石塚社長の人生に最初の転機が訪れる。営業先のひとつだった東京・月島の中央遊技場(現セントラックス)というホール企業にヘッドハンティングされたのだ。

激戦区新規店の店長として
業界のイメージ変革に挑む


「山田欣一専務(現社長)に、『うちで働いてみないか』と誘われました。セコムの営業はBtoBの仕事。今度は、ホテルやアミューズメント業界などのBtoCの仕事にチャレンジしてみたいと思っていたので、お世話になることに決めました」

入社2年目の1992年、CR機とパチスロ4号機が登場する。同年のパチンコ参加人口は約2900万人・市場規模は約26兆3200億円(レジャー白書)、店舗数は約1万7800軒(警察庁調べ)。この後数年間ホール業界は、右肩上がりに成長を続けていく。石塚社長が働く店舗には、いつも活気があった。

店舗がある月島は、運河の街。舟運の河岸(かし)があり、築地も近い。常連客には、こうした場所で働く”荒くれ者“も多かった。

「負けたお客様の腹いせに、下駄で顔を殴られたことがあります。あれは半端なく痛いんですよ(笑)。台パンも日常茶飯事。ある時、もの凄い音がするので見に行ったら、手からダラダラ血が流れているのにガンガン叩くのをやめてくれない。台はヘコむし血だらけで後始末が大変でした」

パチンコの割数調整も自分で行った。最初は、想定した数字に合わず、気分が落ち込むことも多かった。数年経つとピタリと数字が合うようになり、自らの成長を実感できた。

入社3年目、石塚社長はオーナーから驚くような提案をされる。「石塚君のために店舗をひとつ立ち上げるから、店長になってくれ。営業方針は任せる」。どうせ任せてもらえるならば、大手企業並にしっかりとした経営方針を立て、業界のイメージをガラリと変えるような店舗にしたいと思った。

店長を任せられた店舗は、江戸川区篠崎にある220台の小規模店。最寄りの都営新宿線篠崎駅から江戸川を渡ればすぐ本八幡駅で、激戦区として知られていた。

「競合店が3つあるところに割って入るような出店でしたから、集客や稼働には苦労しました」

イベントや新台入替を頻繁に実施。CR機や貯玉システム、データ公開端末の導入も競合店に先駆けて行った。激戦区なので、イベント時には都内や近県からプロが大勢来店する。予算が決まっている中での「通常時のメリハリ営業」にも苦労した。ゴト師を取り押さえようとして耳を切られたこともある。オペレーションは少人数で忙しく、計数機に詰まったメダルをあわてて取ろうとしたら、指に大けがを負った。

「『スタッフに接遇教育をして、お客様が楽しく遊技できる環境をつくる』『台情報を開示したり貯玉システムを導入して、安心して遊んでもらう』。飲食店など他業種では当たり前のことを、小さなホールで始めました。業績が少しずつ上がってエリアでトップになった時は、数字をスタッフにも見せて『みんなで頑張ったからここまで来れた』と一緒に喜びました」

こうした取組みを何年も続けた。一人で行っていた割数調整も、部分的に見込みのあるスタッフに任せた。オペレーションだけではなく、経営感覚を学んで欲しかったからだ。ところが、将来有望なのに、なぜか長続きしないスタッフが多く、離職率は高かった。

「パチンコという仕事に、自分の将来を見出せないからでした。あるスタッフに『この先、僕は何をすれば成長できますか?』と聞かれました。ショックでした。確かに系列店が少ないので、よほどのことがなければ店長にもなれない。キャリアプランが描けない仕事には未練がなくてあたりまえでした」

ホール勤務時代。仕事が終わるのは毎日午前1時、2時ということが多かった

牛角のFC加盟で成功するが
さらに次をめざして独立する


1999年、こうした状況を変えようと、「人も会社も成長できる社内ベンチャー」をオーナーに提案した。第一弾は、『牛角』へのFC加盟だった。店長にはパチンコ店で働く社員を任命し、給料も前職と同じにした。「人を生かすための異動ですから、待遇を下げてはいけないのです」

『牛角』加盟1号店は大成功。初月から1800万円の売上げがあり、計10店舗まで増やした。社員にキャリアプランを示すことで、本業のパチンコ店の定着率と業績も上がった。その後4年間、「ホール企業の専務」「ホール店長」「FC社内ベンチャーの社長」という“三足のわらじ”を履いた。

石塚社長は、セコム時代にまだ日本語版が発行されていなかったスティーブン・R・コヴィーの『七つの習慣』を、社内翻訳版で読んでいた。

「この本には、人生で成功するための法則が詰まっています。この本から、人生は自分で拓かなければいけないということを学びました。チャレンジし続けて、後悔しない人生を送りたい。そのためには、将来独立して経営者になりたいと強く思っていました」

仕事にはやりがいがあったし、会社の居心地も良かった。給料も世間の相場以上をもらっていた。

「実は、独立したのはもう一つ理由があるんです。僕の父は会社を経営していましたが、母は本妻ではなく僕は非嫡出子。つまり、外でできた子供だったので、父の会社に入ったり跡を継ぐことはないと、小さな頃からわかってていました。幸いなことに変にいじけることはなく、『よしっ! じゃあ自分で会社を作ろう』と前向きに考えるようになりました。独立は、自己の存在証明でもあったんです」

人生初の挫折から学ぶことで
FC100店舗超の道を拓く


2004年、39歳だった石塚社長は、現在の会社『リックプレイス』を立ち上げる。リック=LICは「LIFE IS CHALLENGE」の頭文字。「人生は挑戦」という自らの信条を社名に込めた。事業の柱は、『ITTO個別指導学院』のFC事業。学校の授業についていけない生徒や成績をもっと上げたいという生徒を対象とした補習塾だ。

しかし、現実は厳しかった。他の飲食FCも含め独立から4年間は、赤字続き。自宅だけは家族のために残したが、車を売り食費や交際費も切り詰めた。蓄えは全部使い果たし、自分のわずかな給料も借金した事業資金の中からやりくりした。

「なんとか打開策をと思い、FC事業で成功している知り合いのオーナーに片っ端から会い行きました。自分の会社のBS(貸借対照表)とPL(損益計算書)を見せて、現場にも積極的に行かせてもらいました」

そこでわかったのは、成功しているFCは、何かしら独自の工夫しているということだった。本部のマニュアルに頼り、工夫しなかったことが失敗した最大の原因だったことに気づく。コストコントロールや人材育成、生徒の指導法など多岐にわたる部分で『ITTO個別指導学院』の本部と話し合いながら、独自の工夫をした。収支のバランスが取れ、授業の質が保たれたモデル教室ができたら、ノウハウとして確立、次の新規出店に生かした。

人への投資の重要性を
あらためて思い知る


「毎年10店舗ずつ10年間出店を続けたら、3年ほど前には104店舗のメガフランチャイジーになっていました。でも、これだけ抱えると、どこかにひずみが出てくるんです。皆が忙しくて、社内には疲弊感が渦巻いていました」

ある時、社員を前に新年度の方針を熱く語ると、どうもおかしい。中身の濃い話をしたつもりなのに、手応えがなかった。「自分は、裸の王様かもしれない」。社員との間にある得体の知れない温度差に、石塚社長は愕然とした。

「このまま突き進むと会社が崩壊する。拡大一辺倒ではだめだ」。一切の新規出店をやめ、既存店を15店舗閉鎖した。補習塾は、有名校をめざす進学塾と違い合格実績ではなく、面倒見の良さや講師の評判の良さが成功のカギになる。人への投資の重要さに石塚社長はあらためて気づいた。

現在、「ITTO個別指導学院」は82店舗、飲食では「串カツ田中」「すた丼」「焼肉ホルモンたけ田」「居酒屋それゆけ!鶏ヤロー!」、健康産業の「ステップゴルフ」「からだ元気治療院」「小顔矯正 フェイシア」など26店舗、合計108店舗を展開。学習塾以外のFC参入は、すべて社員の発案だ。毎年「№1貢献社員コンテスト」を行い、優勝した社員に新規事業を始める権利を与え、開業資金も出す。

「人が育たない会社は、衰退も早い。だから、人を集めて育てる仕組みをどう作るかが大事。学習塾では講師だった大学生を卒業後採用、経営に関する教育をした上で新規店の店長に任命します。他業界でも、こういう仕組みができないか実験中です」

会社が行き詰まってしまう理由のひとつは、「同族経営」だと石塚社長は言う。ホール企業にも同族経営が多いが、キャリアプランを描けないがゆえ、優秀な人材が離職してしまうことも多い。

「僕は、同族経営の輪に入れないという原体験をもっています。だからこそ、自分で起業して、いろんな人を巻き込みながら新しいことにチャレンジしたいと考えるようになりました。経営理念は『感動創造』です。社員全員で感動を共有して、全員が輝いていく。もちろん、チャレンジなくして、感動はありません。だから、社員がやりたいことを何でもできる会社でありたいと僕はいつも思っています。同族だけが輝く組織は、いずれ衰退してしまう。企業価値の指標のひとつが社会性の高さであるとすれば、当然の摂理ではないかと思います」

FCとホール企業を繋ぐ
橋渡しとして役立ちたい


長年ホール企業に勤めた後、立ち上げたリックプレイスは再来年20周年を迎える。節目の年を前に石塚社長は、またひとつ新たなことにチャレンジしようと考えている。

「僕はこれまで、さまざまなトライ&エラーを重ねてきました。本部の言うことさえ聞いていれば成功すると思っていた自分。店舗数さえ増えれば良いと思っていた自分。そんな過去の自分に、『こうすればきっとうまくいくよ』と声をかけてあげたくなることがあるんです。失敗から得られたノウハウを今度は、新たに参入する企業に伝えることで、FC業界発展のために役立ちたい。特に、ある程度資本力をもち、大きな規模で参入したいというホール企業はFC業界にとって大歓迎です。FC参入は、売上げに貢献するだけではありません。僕も牛角に加盟したときそうしましたが、FCで得られた優秀な人材をホール事業に配属すれば、企業価値が上がります。ホール業界の人たちと一緒に創意工夫をして、一緒に輝くことができたら、僕にとってこんなに幸せなことはありません」


※『月刊アミューズメントジャパン』2022年6月号に掲載した記事を転載しました。


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