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2024年06月07日
No.10004367

レフェリーが大切にした選手・同僚との対話術とは【前編】
サッカー元プロフェッショナルレフェリー 家本政明さん INTERVIEW

レフェリーが大切にした選手・同僚との対話術とは【前編】

INTERVIEW 【前編】
サッカー元プロフェッショナルレフェリー
家本政明さん


家本政明さんはサッカーJリーグ通算516試合で審判を務め、21年に引退した元プロフェッショナルレフェリー。サッカーの主審は、熱くなる選手のコントロールやミスをした同僚のカバーを試合中に即座に行わなければならない。その中で家本さんが大切にしていたコミュニケーション術について聞いた。【文中敬称略】文=野﨑 航 写真=大林史能

——2021年に引退されるまで、日本を代表するサッカーのレフェリーとしてJリーグで活躍されました。なぜレフェリーを目指そうと思ったのでしょうか。
家本 小学校3年生からサッカーをはじめたのですが、高校1年生の部活(練習)中に体に異変を感じました。GW頃から9月頃までの期間だけ激しい運動をすると吐血するようになってしまったんです。その症状は2年生、3年生になっても治まらず、受験の時期には「サッカーとは別の道を選ばなきゃな」と考えていました。大学に進学する予定ではなかったのですが、縁あってサッカーの強豪と呼ばれる同志社大学に行くことになりました。そこでもう一度サッカーに打ち込みたいという気持ちが湧いて参加したものの症状は治まることがなく、医者からは「健康的に生きたいのなら、もうサッカーはやめたほうがいい」と言われ、選手生命が終わってしまいました。同好会や学生コーチとして、サッカーに携わる、楽しむということもできましたが、それが自分に合うイメージが湧きませんでした。どうしようかなと考えているときに思い出したのが、高校時代に監督に任されたことのあるレフェリーでした。自分の性格や考えていることに合っているような気がして、いままで自分がやってきた選手としての経験も生きるのではないかと。当然、レフェリーは正しいジャッジやスムーズに試合を進行させることに一生懸命になるわけですが、そのチームや選手のために一生懸命に取り組むことが心地良いと感じる自分がいました。この世界なら生きていけるかなと。体調次第ではあるものの、続けられそうであればチャレンジしてみようと決めました。

——大学卒業後、京都パープルサンガ(現、京都サンガF.C.)への就職を経て、在職中に全国最年少で一級審判の資格を獲得。02年からJリーグで主審を務められました。レフェリーになりたてのころはどのように選手とコミュニケーションを図っていたのでしょうか。
家本 96年に一級審判の資格を取ったのですが、当時は選手と話すな、笑うな、触れるなという、厳格さを持つことが良き審判のスタイルとされていました。選手と笑いながら会話したり、ミスジャッジをして謝ったりというのはタブーとされていたんです。一方で僕の性格としては、人とすぐに仲良くなりたいし、コミュニケーションを取りたいほうなので、厳格さを保たなければいけないこととのギャップに最初は戸惑いました。一般的な会社員と同じで、協会に属する身としてはそこに合わせることも大切だと思っていて、選手には毅然とした態度をとっていましたので嫌われていたかもしれません(笑)。ただそういった関係性が是という時代でしたし、そのスタイルを続けて05年にはプロ契約であるスペシャルレフェリー(現、プロフェッショナルレフェリー)になりました。

——いまお話している家本さんの印象とは真逆の印象ですね。ターニングポイントとなった出来事があったのでしょうか。
家本 ターニングポイントは08年のゼロックススーパーカップです。毎年、Jリーグのシーズン開幕前に行われる大会で、新シーズンのレフェリーの判定基準を審判団だけでなく、チームと選手にも共有する場になっています。例えるなら交通安全週間のようなもの。お巡りさんも普段は多少緩かったりしますが、交通安全週間のときだけは厳しくなるじゃないですか。それと似ていて、こちらは選手に正しいプレーを要求する。違反したら毅然と厳格に向かっていく。厳しいところもあるかもしれないが、恐れずにそれを示すことが安全の確保につながり、サッカーという競技の正しさが担保される、守られるというのが協会の考え方でした。私はその試合で協会が定めた基準通りに、毅然としたレフェリングをしました。協会からは二重丸に近い合格点という評価でした。ただ警告11枚、退場者3人という荒れた試合になってしまったこともあり、負けたチームやサポーター、その他のサッカーファンからの評判は最悪なものでした。メディアもこの試合のレフェリングについて騒ぎ立て、協会側が記者会見を開くまでに至り、私は試合の無期限割り当て停止(審判活動の休止)を命じられました。

現役時代の家本さん。Jリーグ通算516試合を担当した

——そこから家本さんのレフェリングへの考え方に変化があったのでしょうか。
家本 よく「正義の反対は別の正義」と言いますよね。人それぞれで正義が違うわけです。ルールはありますが、他のスポーツに比べてサッカーのルールは少ないし抽象度も高い。解釈の幅が広いので、その場の判定もレフェリーによって異なることもあります。レフェリーも人間ですから、絶対はないですし、完璧もない。ルールの抽象度が高いので、いかようにも解釈できる正しさがあると言いつつも、あの試合で協会はその解釈を狭めようとしました。それを絶対的な正解とするならば、レフェリーはそれに近づけようとします。でも、選手、チーム関係者、メディア、サポーター、その他大勢のステークホルダーが、ルールについてどう思っているのか、どのくらいサッカーのルールを知っているのかにはギャップがある。ここを埋める作業がなくて、いきなり「これが正しいルールだ」と言われても全員がまとまらないと思うんですよね。そういう経験ができたので、「正義、正しさって一つじゃないんだな」と身をもって感じることができました。人にとって正義や正しさを押し付けられるのは苦しさでしかないんです。僕も苦しむし、僕を管理している組織も苦しむ。もちろん選手やサポーターも苦しむことになると思い”これは正しい方法じゃない“と。そこで「サッカーの面白さって正しさの追求なんだろうか」、「競技規則にもそういうことが書いてあるんだろうか」と僕の中に問いが生まれました。実は競技規則の中には、サッカーを楽しむ、サッカーを通じて喜びを与えると解釈できることが謳われています。自分がこれまで思っていた、楽しさをクリエイトしていくとか、みんなと喜びを分かち合うというところにシンクロしたので、そこを大事にしようと決めました。

——協会は”厳格さ“を大切にしていたわけですが、そこを変えるのはすごく苦労されたのではないでしょうか。
家本 考え方が変わってからはリラックスして試合に入れるようになりました。もちろん協会が定める判定基準は保ちつつ、選手やサポーターが純粋にサッカーを楽しめるようなレフェリング、試合運びを大切にするようになりました。でも、協会の考え方、価値観は変わらないですし、前例もないのでなかなか難しい。もちろん協会の考え方を否定しませんし、毅然とするレフェリングが悪いとも思っていません。時にはそういった場面も必要ですから。ただその中で喜びや楽しみ、感動が生み出され、それに多くの人が賛同してくれるような方向に向かって、試行錯誤しながら試合を重ねました。そういう事例を増やしていくと、「最近、家本の試合も平和になったな」「今日の試合は盛り上がったな」と良い意味で広まる。そうすると協会側やほかのレフェリーも「こっちの方がいいんじゃないか」と気付くし、考えるんですよね。周りからは嫌味を言われることもありましたが、自分が信じた道が間違っていなければ、楽しんでくれる人、喜んでくれる人の母数が広がっていくと思っていました。その結果、徐々に仲間が増えたし「家本って最近良くなってるよね」という声が聞こえてくるのはすごい嬉しかったですね。他のレフェリーの中でも、自分の良さや人としての魅力の部分で違うアプローチができないかなと考え始めたり、実際に行動し始めた人が増えたと感じています。

——家本さんのレフェリースタイルが固まっていく中で、選手とのコミュニケーションを取るときに一番大切にしていることはなんでしょうか。
家本 まず人となりを見ることです。どういう人柄なんだろうと、調べられる限りは調べます。試合中は勝つか負けるかという中で選手たちは戦っているので、アドレナリンが出て興奮しています。なかなか冷静な判断ができないし、普段とは違う顔が出ているということを理解しなければなりません。目の前の反応だけにリアクションするのは、関係性ができていないからですよね。その人の人柄だけでなく、これが決勝戦なのか、負けたら降格してしまうのか、久々の先発起用で活躍したいという気持ちが大きいとか、選手の背景とかストーリーを考えると目の前のちょっとした文句とかイライラとかが違って見えてくるんです。なので、いま目の前にいる選手の裏側を見てみようと思うようになりました。

——その場の感情だけでなく、一見すると関係のないように思える、選手の背景にも気を遣われていたんですね。
家本 試合前のウォーミングアップ時も選手を観察していましたね。何を喋っているのか、顔の表情だったり、仕草、仲間とランニングしたり、パス交換する様子など、ずっと見ていました。それを自分の経験、実績としてストックしていきながら、人を見る目を養いました。試合中に選手とコミュニケーションを取るとき、最初はノックするように様子を伺います。相手の反応を見て「いま話すのはまずいな」と思ったら一度離れるとか、誰かを介して意見を聞いたり、その反応を見てストックした経験から答えを導いて相手の心を治める。相手の反応で対応を変えることは意識していましたね。【後編に続く


いえもと・まさあき
同志社大学卒業後、京都パープルサンガに入社。在職中に全国最年少で一級審判の資格を獲得し、02年からJリーグの主審を務め、通算で516試合を担当。国際審判として国外の試合でもレフェリーを務めるなど活躍した。現役引退後はONGAESHI Holdingsにジョイン。Tryfundsと共同運営する地域創生ファンドONGAESHIキャピタルに携わることになり、フィル・カンパニーへ出向。特命部長兼広報部長として企業の魅力や価値を広めるため、日々奔走している。

※『月刊アミューズメントジャパン』2024年6月号に掲載した記事を転載しました。

文=アミューズメントジャパン編集部


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