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2019年12月27日
No.10001520

ジョージ・ゴディーニョ教授
マカオ カジノ産業20年の紆余曲折
20 Years of Gaming Twists and Turns in Macau

Visiting professor of gaming law and anti-money laundering law at the Faculty of Law and Faculty of Business Administration, University of Macau, China

2019年12月20日、マカオ特別行政区は誕生からちょうど20年を迎えました。ゲーミング産業においても、この間には紆余曲折がありました。中国に返還されたとき、誰もがSTDMのカジノ営業権(concession)が2001年に失効し40年にわたる1社独占が終わることを知っていました。すでに3つのカジノ営業権が発行されることが決まっていたのです。もちろん、3つでは足りないという意見もありました。

2001年から2002年に行われたカジノ営業権の公開入札には21社が名乗りを上げました。ラスベガス・サンズは当初、ある企業との提携を模索しましたが、結局はギャラクシー(香港)と組むことになりました。しかし、すぐに両者の間に意見の相違が生じ、2002年末に「二次ライセンス(subconcession)」というものが創出され、ラスベガス・サンズが設立したベネシアン社はギャラクシーの二次ライセンスを得たのです。そして第2、第3の二次ライセンスが発行され、当初の「3社への営業権」は実質的に「6社への営業権」となり、それが産業の活況を創出することになったのです。

今ではほとんど忘れられているでしょうが、2002年当時、コタイ地区への投資に関心を持つ人はいませんでした。当初のカジノ建設は旧マカオ(マカオ半島)で行われました。これを一変させたのが2007年にコタイ地区に開業したマカオ初の統合型リゾート施設「ベネシアン・マカオ」です。これ以降、すべての事業者がコタイ地区で開発を始めました。

この間に、また別の大きな変化がありました。VIPゲーミング・プロモーターの急速な成長です。2004年、一部のアナリストは多数のスロットマシンを備えたマス・マーケットの拡大を予測していましたが、反対のことが起こったのです。スロットマシンではなくバカラ(テーブルゲームの一種目)が大きく成長し、VIP客をカジノに連れて来て遊ばせるゲーミング・プロモーター(ジャンケット)の重要性が高まったのです。それゆえバカラでの手数料に上限を設ける必要が生じました。

★記事全文は月刊アミューズメントジャパン2020年2月号をご覧ください。


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